2018年12月13日木曜日

父が大腸癌の手術をしました・12/25追記有

見に来てくださった皆様、拍手してくださった皆様、ありがとうございます^^

今日は、シムズとはまったく関係ない、私の父のことを書こうと思います。

題名通り、私の父が大腸癌になり、実は、前回チュートリアルの記事を書いた11月28日に入院をし、11月30日に手術をしました。

大腸癌になる人は、とても多いそうです。
私の知人は、30代後半で大腸癌になっています。

でも、早期であれば、腸内カメラで切除でき、父のような大掛かりな手術をしなくて済むのです。

ですので、注意喚起を促すつもりで、父にどんな症状があったのか、手術に至るまでの状態、切除した癌の写真(見たい人だけ見れるよう、リンクを貼ります)など、書こうと思いますので、よろしければお付き合いください。


1.排便時の出血は2~3年ほど前からありました

父は73歳です。

父は元々軟便で、若い頃からイボ痔もあるので、排便時に時々出血することはあったようですが、私が父と同居するようになったのが4年前で、実は私が父の異常な出血に気付きました。

突然ですが、みなさんは、ウォシュレットって、どうやって使ってます?(^^;

私は、排便後、一度拭いてから、ウォシュレットを使い、その後、もし水しぶきが飛んでいる場合は、それらを拭きとってからトイレを出るんですね。

でも父は、排便後、そのままウォシュレットを使い、汚い話で申し訳ないのですが、軟便なので、水しぶきと同時に汚物も周囲に飛び散るわけです・・・
そして、父はそれをそのまま放置してトイレを出ます。

なので、私がトイレに入る時に、それを掃除していたんですね。

もし、父のような入り方をしている人がいるなら、気を付けた方がいいですよ。
もうね、こんなところにまで飛ぶ!?と思うような、想像もつかないようなところにまで飛んでますので・・・

で、これがきっかけで、気付いたんです。
父が、尋常ではない出血をしていることに。

だって、『血しぶき』なんですもん。
誰が、どう見たって、血しぶきが、そこここに飛びまくっている状態なわけです。
血の色は、普通の血の色でした。

なので、父に「すごい出血しているんじゃない?本当にイボから出血しているの?一度、病院に行った方がいいんじゃない?」と2~3年ほど前から言っていたのですが、父は「いつ死んだっていいんだ」などと言って、放置していました。

うちは、母がすでに他界していて、父は母命みたいな人だったので、母が他界後、父は、何かと言うと二言目には「いつ死んだっていいんだ」と言うようになったんですよね・・・
そう言いつつも、ものすごーく身体に良い健康的な生活を送っているんですけどねw

ちなみに、どんなに出血していたとしても、痛みはまったくなかったそうです。


2.検便検査でひっかかり、大腸カメラで複数のポリープと3センチの出来物が見つかりました

私が病院に行くよう言っても全然言うことをきかなかった父が、今年の10月に、気が向いたのか、健康診断と共に検便検査もしてもらい、検便検査だけ引っかかって、大腸カメラの検査をすることになりました。

父は、あんなにしょっちゅう出血があったのに、自分は平気だと思っていたようです。
でも、大腸カメラで、5つのポリープの他に、あきらかにおかしい出来物が見つかりました。

その出来物は肛門付近に出来ていると言われたらしく、肛門付近なら、イボ痔のイボが写り込んだだけじゃないか、などと父が言ったりしているので、そんなわけないだろうと思い、私も一緒に病院に行き、先生から直接説明を聞くことにしました。

写真を見せられながら説明を受けたのですが、5つあるポリープのうち、3つを取り、細胞検査に回したが、そのうちの1つが出血したため、これはクリップで止め、残りの2つのポリープは手付かずのままであることと、問題の出来物は肛門から24センチ離れたところにあり、直径はおそらく3センチくらいで、これも細胞を取って検査に回したが、問題の出来物はうちでは取れないので、紹介状を書きますと言われました。

ちなみに、私が説明を聞きに行った時には、細胞検査の結果は出ており、3つのポリープは現状では癌ではなかったということと、問題の出来物からとった細胞も癌は見つからなかったこと。

でも、問題の出来物は大きく、取った細胞はその一部なので、それだけで癌ではないと断定はできないとのことでした。


3.紹介先の病院で癌告知をされました

紹介されたのは某大学病院だったのですが、すごい混むんですよね・・・
父はここで、大腸カメラの再検査を行ったのですが、半日がかりでしたよ( д|||)

この時、大腸カメラの検査を行ったのは、若い女性の先生だったらしいのですが、この先生とは、この時だけのご縁で、その後は関わっていません。

この時の検査では、ただ、大腸カメラで腸内を見るだけではなく、青いスプレーみたいなものをポリープや問題の出来物などにかけて、それにより、浮き出てきた模様で癌かどうかを見分けるらしいんですね。

で、突然「明日、S先生(主治医となる先生)から説明があるので、ご家族の方と一緒に来てください」と言われたと父から電話があり、急遽お仕事を休んで、翌日父と二人で病院に行きました。

S先生の説明によると、問題の出来物は3つのポリープの集合体で、この3つを仮にA・B・Cとした場合、AとBは普通の顔をしているけれど、Cには変な模様が浮き出ているでしょう?これは癌だから、こんな顔をしているんだよと言われ、大腸カメラで切除は出来ないので、手術しますと言われました。

また、他のポリープたちは癌ではないから、このまま放置すると言うので、私は驚きました。

実は、1回目の父の大腸カメラ検査の結果を聞いた時に、問題の出来物の写真を見て、癌かもしれないと思った私は、大腸ポリープや癌のことをネット検索で事前に調べていたんですね。

それによると、大腸ポリープの多くは、放置しておくと4~5年で癌になるものが多いので、見つかり次第取るのが一般的だと、どの解説ページにも書いてあったからです。

なので「放置するんですか!?」と聞くと、先生は「下手にいじって出血でもされたら困るから」と言うので、それ以上突っ込めませんでした。

「それよりも」と、先生は、私たちが予想もしていなかったことを言いました。

父は、標準体重で、内臓脂肪も多い方ではないのですが、お腹だけがぽっこりと出ているような体型で、でも、今回腸の手術をするわけですから、当然お腹を切ることになるのですが、そうすると、お腹に脂肪がついていると、大きく切らないとならないから傷口も大きくなるし、術後、癒着や炎症などの問題が生じる可能性が大きいらしいんです。

この時は、10月の終わりだったのですが、11月30日に手術の予定を入れるので、それまでに痩せてくださいと言われました。

それから『患者さんのための大腸癌治療ガイドライン』という本を購入してください。
今後は、この本を見ながらいろいろな説明をしていきます、と言われたので、ネット注文しました。
ちなみに、今日まで、この本を使っていろいろな説明をされたことはありません(笑)
となると、なんのために買ったんだって話なのですが、でも、父は自分の病気のことですから、今日までに何度も何度も繰り返し、目を通していましたので、結果的には無駄にはなっていませんw


4.ダイエットに取り組みました

いつ死んだっていいなんて言っていた父ですが、翌日にはスポーツジムに入会し、毎日熱心にジムに通いました。

同時に、7日間脂肪燃焼スープダイエットも行いました。

7日間脂肪燃焼スープダイエットは、そもそも、手術が必要な肥満の患者に対し、短期間で手術が問題なく行えるレベルにまで体重を減らすために、医師が監修して作られた食事療法なんだそうです。

ただ、父は、おなかはぽっこり出ているけれど、肥満体というわけではないので、そんな父にも効果があるのかなぁ・・・と心配でしたが、28日に入院するまでに4キロ体重を落とすことが出来、おなかもだいぶひっこみました。

ちなみに、28日までに、他に転移がないかを調べるために、胃カメラ検査をしたり、X線写真を撮ったり、もう一度大腸カメラの検査をして、放置しておくと言っていたポリープを結局は取ったり(この時の大腸カメラの先生は、また全然知らない先生だったらしく、その後、やっぱり二度とご縁はありませんw)、とにかく、検査検査と、検査の予定がびっしりで、毎回半日がかりだったので、大変でした><


5.入院・手術までの流れ

28日は、9時~11時までの間に入院の手続きに来てくださいと言われていたので、まるで旅行にでも行くのかと思うような荷物を手に(笑)、父と二人で病院に行きました。

私たちが病院についたのは9時半ごろだったのですが、父のベッドにはまだ別の患者さんがいて、退院手続きが終わってないので待っていてほしいとのことで、結局父が入院できたのは、12時過ぎ。

父はダイエットのために食事制限もしていましたし、入院までに胃カメラや大腸カメラの検査があって、そのたびに食事を抜いたりしなければならなかったので、このころにはだいぶ気持ちも飢えていて(笑)、まだ、ベッドが空いてないのに、看護士さんに「今日はお昼、出るの?」と、自分のお昼ご飯が出るのかどうかをしきりと気にしていました(^^;

父のベッドがやっと空くと、お昼ご飯も来ていて、正直、そんな大した食事ではなかったのですが、父は嬉しそうに食べていました。

でも、これが手術前の最後の食事で、手術は30日の13時半ごろからの予定なのに、29日から絶食で(お水のみ)、さらに下剤をかけるという状態になり、私が病院に行く前に、朝いちで「もう、ご飯食べれないんだって。がっくし」なんてメールが来ていました。

私が病院に行くと、父は、病院から貸し出しされている有料の寝間着を来て、点滴をされていて、このあたりから、父が病人であるという実感が私の中に湧いてきた気がします。
さらに翌日の手術日は、前日の絶食と下剤が効いて、おなかがぺったんこになっていて、元々はぽっこりおなかだったので、脂肪がとれて、ちょっとしわっぽい皮膚になっていました。

29日に父と私と妹の3人で、入院中、父の担当になるO先生から手術の説明があり、S先生からは開腹手術と聞かされていたのですが、腹腔鏡による手術になると言われました。

腹腔鏡手術がどんなものか、画像付きで説明されているページがありますので、一応リンクを貼っておきますね(参照ページはこちらです)
父がお世話になった病院ではないですが、絵の通りの傷痕になっています。

開腹手術と違い、腹腔鏡の手術は、ひとつひとつの傷口も小さいため、術後の回復が早いんだそうです。

問題の出来物は、S状結腸に出来ており、この出来物を中心に上下10センチを切除し、周辺のリンパを取る、という手術を行うとのことでした。

30日は13時15分ごろから手術室に入ったのですが、絶食していたとは言え、父はとても元気で、歩いて手術室に入っていきました。

そんな父の姿を私は妹と二人で見送り、看護士さんから、手術が終わったら呼びに来るので、院内にいてほしいと言われ、手術は3時間~3時間半と事前に聞いていたので、その間、妹と二人でおしゃべりしながら過ごそうと、たっぷりお菓子を買い込んで(笑)、院内にあるデイリールームに行き、そこで父の手術が終わるのをひたすら待ちました。

看護士さんが呼びに来たのは、4時間後で、手術室前まで案内された後、さらに30分ほど待たされて、父の手術に立ち会った先生のひとりに呼ばれて、別室で、摘出した患部を見せられました。

見たい人だけ、見てください。
こちらが、摘出した父の癌です。(1枚目2枚目

真ん中の、赤い丸いのが、問題の出来物です。
周辺の変色している部分は、切除した腸なので、当然血が通っていないわけで、そのために変色しているだけで、問題があるわけではないと説明されました。

また、目視での段階ですが、切除したリンパも腫れていなかったらしく、なので、おそらく転移は大丈夫だろうとのことで、父の癌はステージ1だろうと言われました。

それからさらに20分ほど待ち、ようやく父と対面です。
父は集中治療室にいて、意識は戻っていましたが、私たちが声をかけると、第一声「戻ってくるとき、苦しかったぁ」と言いました。

この『戻ってくる時』というのは、全身麻酔から意識が戻る時のことらしく、息が苦しいというか、そんな感じだったそうです。


6.おならが出ない!

集中治療室には一晩だけで、翌朝には病室に戻されましたが、お腹と、尿管と、肛門から管が出ていて、点滴もしている状態で、腸を切っているので、当然ご飯は食べれず・・・お水とアメならOKとのことだったので、父は持参していた黒飴を、手術の翌日は全部で3つほど食べていました。

また、全身麻酔をする際、脊髄から点滴で入れたらしいのですが、それが術後も数日間射しっぱなしで、そこから痛み止めを点滴していくらしいんですね。
それが良く効いているために、傷口はまったく痛くないと言っていました。

そうそう。
手術の前日、看護士さんに言われて、紙パンツと、術後の血栓予防のための弾性ストッキングと、全身麻酔をした場合、呼吸が下がる患者さんがいるから、それを防ぐために呼吸の訓練をするので、そのための機材(トライボール)を買ってくるよう言われ、院内にある売店で買ってきていました。

弾性ストッキングを使ったのは、手術室に入る少し前からだったのですが、それよりも父は、使い捨てで楽だと紙パンツをとても気に入って(笑)、旅行の時にもこれ、いいよな!と言ってました。

入院した時に、手術から退院までの予定表をプリントでもらうのですが、それによると、術後、最初の2日間は水とアメ・3日目からはヨーグルトやプリンがOKになり、その後、三分粥、五分粥・・・という食事になっていくのですが、これはあくまで予定で、腸の働きや、傷の具合などにより、変わるようなんですね。

腸の働きに関しての一番の目安は、おならが出るか出ないかみたいで、父は術後、なかなかおならが出なかったんですよ。

キュルキュル言ったりしているのは、聴こえるんですけどね・・・

父曰く、食べてないからおなかに力が入らないし、尿管や肛門に管が入っているから、それが気になって、おならをするどころではないと言います。
でも、おならが目安になっているから、出ないと腸の働きが悪いと判断され、毎回の食事が小さな小さなヨーグルトが1つだけになってしまうんです。

本当に小さいヨーグルトなので、あっという間に食べ終わり、もう空になっているのに、それをスプーンで一生懸命ほじってほじって、かすを集めて口の中に運んでいる父を見ていると、もう可哀想で・・・

結局父は、とうとうおならが出ないまま、5日経ち、その間、点滴はしていますが、口に出来るのはお水またはお茶と、アメと、食事に出るヨーグルトだけだったので、目に見えてげっそりとしてきました。

このままおならが出なかったら、どうなるんだろう・・・と不安に思っていましたが、6日目の朝、私が病院に行く前に、父から、朝一番でお腹の管が外れた事と、朝ご飯は味噌スープと豆腐卵とじとヨーグルトとお茶で、具無しの味噌スープは、塩加減がとても良かったとメールが届き、良かったぁ~と、心から安堵しました。

麻酔の点滴を外したのは12月4日のことで、その日の夜だけ、お腹が焼けるように痛くなり、鎮痛剤をもらって飲んだけれど、効果が出るまでに30分くらいかかって辛かったと言っていました。

でも、翌日にはケロリで、その後は一度も痛むことはなかったようです。

7日には尿管と肛門の管も外れ、この時になって、ようやく父は、おならが出たそうです。
まったく、人騒がせな!!!

お腹の管が取れたあとも、お腹の傷痕から、しばらく汁のようなものが出ていて、そのうち出なくなるらしいのですが、父の場合は2日経っても出ていたので、1針縫いました。

そんな風に、ちょこちょこと、心配なことはありましたが、入院ボケするようなこともなく、腸が良く動くようにと、毎日積極的に院内を散歩して回り、減量して痩せたのに(入院後も痩せたので、結局合計で7キロ痩せました)、ものすごいシャキシャキと歩いていて、まったくフラついたりもしないとのことで、おかげさまで、間もなく退院です。


7.その他

我が家は、ずーっと高血圧の家系だと思っていました。
父方も母方も、父も母も、みんな高血圧症だったからです。

私は長い間、低血圧症でしたが、数年前に突然高血圧症になり、現在も高血圧症です。

でもね。

父が大腸癌になった時、病院に提出しなければならない様々な書類のひとつに、父の親や兄弟たちの生死や、かかった病気などを書かなくてはならないものがあって・・・

父は、11人兄弟なのですが、そのうちの2人が胃癌で、1人が大腸癌でした。
残りの8人は癌になったことがなく、みんな高血圧症です。

父方の祖父は脳溢血で他界し、祖母は老衰です。

父は13人家族で、そのうち、父が癌になるまえは3人が癌だったので、これを確率に治せば、約23%です。
確率に治すと、結構大きい数字だな・・・と、ゾッとしました。
しかも、今や父も癌ですから、30~31%くらいの確率になっちゃいました・・・

ちなみに、母は6人兄弟で、そのうち、2人が疫痢で子供のうちに亡くなり、残った4人のうち、1人が脳溢血で他界、1人が交通事故で他界、そして母が皮膚筋炎で他界、残る最後のひとりが、肺癌と前立腺癌になり、でも老衰で亡くなりました。

母方の祖父は転倒による脳溢血で他界し、祖母は老衰なので、母の場合は8人家族のうち、1人が癌です。

父の書類を提出する際、父の11人いる兄弟のうち、3人癌がいることを書くと、ああ~癌家系の可能性大だね~みたいな感じの事を言われ、そうだったんだ・・・とびっくりでした。

私が子供の頃、実家の隣家に住むおばさんは、7~8人くらい兄弟がいて、全員癌で、自分と長女以外、みんな20代30代で亡くなっていると言っていたんですね。
そういうお家が、癌家系と言うんだろうと思っていたんです。

後に、そのおばさんも長女さんも、70代で癌により亡くなったのですが、70代にもなれば、年なので、癌になることもあるのかな・・・なんて思っていたら、お医者様に言わせると、年は関係なくて、やっぱり、一番は、身内にそういう病気の人がいるかいないかと、あとは、普段の食生活らしいです。

最後に・・・

父は、出血があったのに、3年近くも放置していたために、手術以外の方法がありませんでした。
ただ、3年近くも放置していた割には、転移もなく、根も深くない早期癌だったことは、幸運だったと思います。

大腸癌は、早期であれば、大腸カメラで取れます。
当然ですが、これが一番楽です。
入院もする必要はないですし、傷も残りませんし、治療費も安く済みます。

検便の検査だけなら、ただ、排泄物に専用の棒みたいなものを数か所刺して提出すればいいので、とても簡単です。

父は、検査を受けていなかったことを、とても後悔していました・・・

1年に1回は健康診断を受けて、その時に、検便検査も受けるようにすると良いと思います。
実は、私もここ数年、検便検査はしていないので、受けようと思っています。
何事も、早期発見ですよ!!!


 ↓↓↓

※ 12月25日 追記

本日、父の大腸癌の、切除した腸の部分とリンパの細胞検査結果が出て、目視ではステージ1の早期じゃないかと言われていましたが、癌が腸の第二層に浸潤していて、28個取ったリンパのひとつに癌が転移していたことがわかったため、ステージ3と診断され、抗がん剤治療が来年の7日からスタートします。

抗がん剤治療は、ひとによっては体調を崩す場合もあるため、7日は1日入院して様子を見るそうです。

ステージ1だと思っていたのに、いきなりステージ3ですからね・・・父も、私たち家族も、その結果にガッカリしていますが、でも、ステージ3まで進んでいたけれど、癌は全てとりましたので、あとは、抗がん剤治療をしながら、体質改善のための食事や運動などを心がけながら、こまめに検査を受けながら、再発防止をしていくのみです。

「ガッカリだったけど、思ったほどショックでもなかったけどな」

なんて言いつつ、父は相変わらずヘラヘラしていましたが、心は見えないですからね。
本当の想いはどうなのか、娘の私にもわかりませんが、とにかく私が父をしっかりサポートしていこうと思います。